ムラ・アイデンティティ

集落マニアによるブログです。「街の見方を知ったら、街はもっと面白くなる。」

産業景観ータバコ産業が生み出した集落景観ー|福島県船引町

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日本の住居史は、竪穴式住居から始まる。その後も長らくこの住居形式が庶民の住居であった。中世の頃には掘立小屋のようなものが西日本を中心に出てきたと推測されている。この頃の居住の跡は柱のみで、穴を掘っていた時代と比べると、痕跡を発掘することはとても難しいが、一般的にはそのような家の造りであったと考えられている。ここまでが考古学とか歴史のお話。

建築は実体のあるもの。現存する最古の民家は室町時代のもので、3軒存在している。空間の特徴としては、大部分が土壁に覆われることによる暗い空間が指摘できる。建物を建てる技術的な側面と戦乱の世という文化的側面が、家のふるまいを閉鎖的にしていた。

その後、江戸時代頃になると庶民の家は、木造が主流となる。合掌造りや棟木造りに加え、和小屋と呼ばれる複雑な架構も登場する。

江戸時代の家はどこの地域も稲作を基本としたもの。そのため、家の大きさや民家形態に大きな地域差は生まれず、大きさや屋根の架構が違いの主流であった。

 

明治時代になると民家形態は一気に多様化する。民家形態に多大な地域差を生じさせたもの、それは産業。

財産のあり方が年貢米から税金に変わると、養蚕業や煙草業など、換金できる仕事が重要視されることになる。お金を得るために産業に適応した形に民家が変化し、お金を得るが故にその建築が強化されていく。

そんな理由で日本は大きく変化していくが、日本の民家に最も大きな影響を与えたのは養蚕業。そして今日の主役のタバコも、暮らしにさまざまな変化を与えたもの。

 

タバコ産業は、結構多様な建築を生み出している。

ベーハゴヤ

と呼ばれる建築は、四国などでよくみられるこの建築は、米国の葉の小屋。非常にかっこいいので、いつか見に行きたいな、と。

茨城のタバコ乾燥小屋は火を焚き乾燥させる。コンパクトながら高い屋根の空間は神秘的でもある。

 

今回紹介する船引は、自然乾燥を主とした生業形態。

山に挟まれた狭小な平地で田を植え、里山を有効に活用することで集落を形成してきた。

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 最も低いところには田を植え、家までの動線の間に板倉を設置する。大きな家は、かつて養蚕をしていた証左。蚕の餌として後ろの斜面には桑を植えており、山の裏口から2階に入れるような家も確認できる。家の横には土蔵がおいてあり、大切なものをしまっていた。


そして右に見える黄色と銀の小さな建物が「タバコヤ」と呼ばれる建築。

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船引ではタバコは自然乾燥させている。だから、最も日当たりのいい箇所を写真のように芝にして、お日様の光で乾燥できるような干し場を設ける。でも雨がふったら折角の乾燥が台無しになる。そのため、すぐに逃げられるようにすぐ近くに「タバコヤ」が設置されている。昔は茅葺。なんとも愛らしい建築。

 

家っていうと、敷地があって、庭があって、と考える。でも船引は、家のラインが極めて不透明。きっと田んぼも山も家の領域なんだろう。里山の暮らしはおおらかで、産業が暮らしを支えていた。ただの何気無い田舎の風景も、その産業構造を知ると、より味わい深い景観として見えてくる。

産業が生み出した美しい景観。