飛騨の板倉|岐阜県種蔵集落
飛騨に「種蔵」という集落がある。
山に守られ、棚田と板倉が織り成す美しい風景。
まだこんなに美しい地域があるんだ、と思う。
飛騨古川から更に北に行ったところ、川に沿った県道を登っていく。ムラは人の住むところだから、通常、ムラは道沿いに位置する。ちなみに道は車を手にした我々現代人が作り上げたもの。車ができる前には自然要素が交通の要衝だった。それは川であり、谷であり、尾根であった。道で繋がった集落は文化の交流があり、人や物が流通する。
一方、種蔵は県道から更に山に入って行ったところにある。県道からは見えないから秘境感が満載。車を使っても、奥地だなぁ、と感じるのだから、乗り物のなかった時代は、もっともっと奥地だったのだろう。
種蔵の名前の由来にはとあるストーリーがある。
その昔、街場に近いムラムラでたいそうな飢饉にあったらしい。川や道で繋がったムラムラは、流行病にあったり、世俗の影響を受けやすい。周辺の多くのムラが飢饉にあえいでいる中で、人里離れた場所にある種蔵には影響がなかった。
周辺のムラが困難にあるということをしった種蔵の住民は、蔵の中から食べ物の種をだし、周辺に配ったという。それゆえに、「種蔵」と名付けられた。
交通の便が悪い種蔵は、同時に、自給自足的側面も多い。そこに住む人々は生活の知恵が豊富で、生きる力が強い。畑を耕し、棚田を管理し、山菜やキノコなどの山の幸をいただく。焼畑や蕎麦なども行うし、炭焼きや林業なども行っていた。身の回りのものは全て生きるための資源として扱える。
種蔵の人々は色々な備えを持っている。狭い土地の多くを食糧生産にあてたい種蔵では、家を3階建にしている。建物の中はかつては養蚕という産業で使われていた。家であり、お金をえる仕事場でもあるから、大きい。
家から少し離れたところには、木でできた倉「板倉」も持っている。食べ物とか大切なものを、家から離れた場所に設ける場所。その昔、茅葺き屋根だった時の家は、とても燃えやすかった。家が燃えてもクラは残る。そんな生活の知恵。各世帯は離れた場所に複数の蔵を有している。
人里離れた素敵なムラ。
冬季は豪雪地域のために閉鎖していますが、春から秋にかけては、とても美味しい里山料理もいただけます。